ベランダの手すりに鴉が佇む

onisan-tarosan2007-05-17


風邪をひいた頭では何ひとつとして物事を進めてはいけない。
高熱が出てしまえばきっと、ものが考えられなくなるほど自分の意識が朦朧とするか、はたまた意識が高ぶって勢いで進めてしまうかどちらかになれるのだと思うけれど、微熱しか出ないのであればそれはもしかすると一旦停止の合図なのかもしれない。
中途半端で薄曇りのような気分で胃はむかつき、身体はだるい。そんな状態で考えられることといえば、自分には何ひとつ成し得ることなんてできないんだ、ということやなんで自分にはこうできないんだろう、ということや、自分の恥ずべき部分や悔やんでいることばかり。人間はどうしてどちらか片方だけは弱る、という効率の良い風邪のひき方ができないんだろう。なんて。


昔から内容がさっぱりない、そんな言葉の羅列に憧れ続けて、そんな羅列を求めて過ごしてきているけれど、そんな羅列は一向に上達せず、難しく考えることばかりに慣れてしまったような気がする。
はたと身近なところでそんな言葉やどこの誰だか知らない決意を目にすると、激しく動揺、ぐるぐると頭は回って冷静さを失い、洗濯機のように激しい音をたて、赤黒く嫉妬に燃える。ばかみたいだと鼻で笑えられれば楽だろうに。それとも、わたしは言葉ばかりに頼りすぎているんだろうか。
どんなに自分が迷っていても弱っていても、自分だけは自分の産んだものだけは信じていける、そんな強さをどこにおいてきたのか。それを早く取り戻さなくちゃ身体に毒ばかりが溜まっていく気がする。そう、青臭いことを胸の脂肪のすきまあたりで考え感じながら、一日一日をやり過ごす。
でも、一日でできることなんて実はすごく限られていて、一日で進む距離なんて微々たるものなのにその微々たる距離を進める進めないでは大きく違っていて、だからこそ焦るし自信もなくなる。そのうちに自問自答をしてみる余裕すらなくなる。だからやり過ごすだけじゃなくて何かを残して生きたいと思う、のに。
自分を真四角な箱にぎゅうぎゅう押し詰めてがっちりと蓋をして「これ以上大きくなりませんように」と祈ってしまえば楽になるのかといえばそうではなく、きっとそのうちあふれ出したあれこれで箱自体も被われてしまってけっきょく息が詰まって窒息する。ただ、それをわかっているから良いんじゃない、わかってるんだからできるよ、という問題でもない。わかっているからこそ性質が悪い瞬間だってきっとたくさんある。
その瞬間、瞬間を刻み込みながら過ごしていきたい、のに。


なんて、風邪をひいた少し遠いところにある意識のただの戯言。
雨は嫌いではないけれど、鈍い頭をさらに鈍くするところだけは苦手だと思う。
人間なんて、太陽に当たっていないだけで弱気になっちゃう生き物なのに。