その2 「オタクとわたし」

 芸大、という少し特殊な環境に四年間通って、やっと最近わかったことがあります。それは、わたしの目に見える範囲にいる人は、誰もが何かのオタクである、ということです。
 そして、オタクだということは、とても幸せな生き方だ、と心底思います。

 オタクとは、何かとても好きなものがあって、それについて詳しくなりたいという欲求が強く、知ることに喜びを感じ、どんどんのめり込んでいってしまう、それから、ふとした拍子にその好きなものと似たものを自分でも作りはじめてしまうことだとわたしは思います。
 たとえば、音楽が好きならば「音楽マニア」、アニメや漫画が好きならば「ただのオタク」、女の子の人形が好きならば「幼児趣味(ロリコン)」パソコンが好きならば「パソコンに詳しいすごい人」といった具合に好きなものによって呼び方は変わり、他人からの見方も変わります。さらに、その人の風貌、人格などによっても「オタクの気持ち悪い人」か「好きなものがちゃんとあるかっこいい人か」という選択がなされます。ですが、当人にとっては皆同じ、ただのオタクなのです。
 皆、それぞれに好きなものがあり、そんな他人のこともすっかり忘れて、それについて一晩中考えたり調べたり遊んだりすることができ、好きなものに関わる仕事につきたい、という夢もできます。そういった支えがあるおかげで、自分自身に根拠のない自信がつくことだってあります(それが仇になってしまうこともありますが)。
 これを逆に言ってしまえば、視野が狭くてそればっかりな人、という風にうつりかねませんが、そういう視野の狭さだからこそ、ほんの些細なことで大きな喜びを感じたり、時によっては涙が流れてしまうほどに胸が締め付けられたりするのです。
 きっと、そこまで好きになれなければ、ものを作りつづけることなんてできないし、ましてや、本気で職業にしてしまいたい、とは思えないでしょう。だから、芸大にいる人は、少なからず、皆オタクだと思うのです。

 そして、わたしには、それなりに好きなものはあっても、そこまで好きになれるものがありません。
 と言うより、毎日そんなとこを考える暇があれば、明日のごはんのことを考えたり、働いたり、あぁ、洗剤切れたから買いに行かなきゃ、だとか、今日こそ洗濯しなきゃ、だとかを考えなければいけない生活(もしくは考え方)をしているため、どうしてもそんなことにのめり込めないのです。毎日そこまで充実した感もなく、それでもいっぱいっぱいになりながら生きています。別にこういった生活の仕方に不満があって困っている、というわけではないのですが、やっぱり時には「毎日繰り返しで…。いったい何をしているのだろう」とふっと落ち込むこともあります。そして、そういう気分を吹き飛ばせるような自分が幸せになる特効薬のようなものも特になく、ただ時間にまかせて回復する他ないのです。
 だからこそ、この視野の狭さ、そしてそれによる充実感は本当に羨ましく、時に妬ましくもなります。
 わたしにとってオタクとは、本気で、永遠の憧れです。