大それたことを言って生きる大ボラ吹き

onisan-tarosan2005-12-12


「人生なんて死ぬまでの暇つぶしなんだからさ」ということばが忘れられません。
とある尊敬する(今でも)経営者の方に言われたことば。もう2年くらい前。
こんなに時間が経っているというのに、いまだに何かあるたんびに思い出して、ぐっと、お腹の下あたりを重くする。
「何で生きているのか?」だとか、「わたしの生きる意味って何?」なんて、誰しも(きっと)1度は考えたことがあることで、わたしも高校生の頃にずいぶん思い悩んだものだったんだけれど、けっきょく答えはでないままで。
そんなのすっかり忘れちゃったよ、っていうその時に、突然どかんと烙印を押されてしまったようだった。
きっとそんなつもりであの人は言ったわけじゃないんだ、ということはわかっているんだけれど、いまだにそのことばの重みと寒さでからだが震える。


生きることが死ぬまでの暇つぶし以外だったらいったい何なんだろう。
小さなときはそんなことは考えたこともなくて、考えるまでもなくて、ただ、何でもできるような気がしていた。
そういうことを考え出して、よくわからないままうやむやに生きていても、まだ、この先いろんなことができる、いろんなことを成し遂げられる、と、信じて疑わなかった。たとえ、すんごくでっかいことを成し遂げることができなくても、きっといつかは幸せに、強く生きていけるようになるんだ、って信じてた。10代の青々した気持ちで。
でも、あのことばを言われて以来、わたしは、けっきょくは何もできないし、幸せになることも危うい、と思ってしまうことが増えた。幸せになることができたとしても、それは永遠なんかじゃないし、幸せよりも持続させることの方が難しい、だから死ぬまでそうやって時間をつぶして無理やりでもなんでも持続させていくんだ、みたいな考え方をする方が楽になった(もしかしたら、これは正解なのかもしれないけれど、あんまりにも夢がなくてかなしい)。
いや、もしかしたら、就職先が決まって、学生を卒業する身分になってしまって、これから本当に自力で生きていかなきゃいけなくなったから、そうなって初めて具体的に考えるようになったから、そう思うようになってしまったのかもしれないけれど。
それでも、自分の中に、ことのことばは重くのしかかる。
「生きていてもけっきょく何も残さないんだし何も意味がないんだよ。よっぽど大きな大事件を起こさない限りは。」
そんな風に耳元で囁かれているみたいな気分になって、どうしようもなく何もしたくなくなって、どうしようもなく泣きたくなる。


だから(って言ってしまうとすごく抵抗があるんだけれど)、たまにふっと我に返って、「何やってんだろ、こんなことしてても意味なんてないのに」なんて思ってしまう。
だから、何もしたくない。もう面倒だ、と思ってしまう。
たとえば、音楽を聞いても「いい曲だなぁ」と思っても、それ以上に大きな感動をおぼえることもなくなったし、すごく良い映画を観ても本を読んでも、自分の中の戒めになる以外の吸収が、うまくいかなくなった。けっきょく、あのことばにかえってきてしまう。
映画を観て、本を読んで、感動すれば涙はちゃんと流れてくれるのに、それはあっという間に記憶の彼方へ飛んでいってしまって、けっきょく何も残らない。
けっきょく何も前に進まなくって、ただ、何もできないかなしさと、先の見えないむなしさだけが残ってしまう。


そうしたら、そんなにわたしは「何かをしたいのか」「何かを残したいのか」と問われればそんなことは微塵もなく。
ただ幸せに、毎日楽しく生きていけたら良いなぁ。小さな幸せにも感動できる人間になりたいなぁ。と思っているのも本当。
でも、あれがしたいこれがしたいとむやみやたらと思うことはずいぶん減って、何かをしようとしたら必ず、自分に何かが返ってくるものにしか手を出さなくなった。「経験」なんて見えないことじゃなくて、何かが手元にきちんと残るようなこと。すごく狭い狭い範囲にある、もとからちゃんと自分の手に届いていること。そんなに努力しなくたって、かんたんに手に入ってしまう達成感もへったくれもないこと。
それでも、ちょっとでも弱ってしまうと、そんなかんたんなことにも手を出せなくなって、けっきょく何もできないままに時間をつぶすことになってしまって。
あぁ。わたしはいったい何をしているんだろう。こんなことをしてる場合じゃないのに。という具合に気持ちばかりが焦ってしまって、また、しばらくは何もできない。
そのくせ、バイトだとか、何か言われたこと以外のことは求められていないことをするのが苦痛でしょうがなく、こんなことをしてる場合じゃないんだから、と、他にやることもないくせに、仕事にだって不満もないくせに、全然続かなくなった。もってもたった3ヶ月(この言葉のせいにしてるだけだ、と言われてしまえばそれまでだけれど)。このお金で生計を立てなければいけないのに、そのことすらどうでも良くなる。


時間をつぶすためだけに生きているなんて嫌だなぁ、この先もずっと時間つぶしをしていかなくちゃいけないのかなぁ、なんでこんなことしなくちゃいけないんだろう、そんなむなしさを背負いながら毎日すごすのが本当にもったいないしやめた方が良いよな、もっと違う生き方なんていくらでもあるだろう、とはずっと思っているけれど。
だからこそ、わたしは「書く」ことから抜け出さないのかもしれないけれど。
この呪縛からは逃れられなくて、わたしは毎日そのことばにのみ込まれつづけている。