ゆるやかな思考停止

onisan-tarosan2007-04-28


いまだ、考えなければいけないだろうと思っていることがまともに考えられない。頭の芯がぼんやりとしていて、考えなくちゃなあどうしようかなあ、というところで停止してしまっている。
けれど、それは以前のような焦燥感はないし、これはたぶん、考えなくても良いことなんだろう、と妙に納得できていて、何も考えなくとも、わたしは、ゆるやかにその方向へ向かっていた。
だからたぶん、わたしの中の正解はそういうことなんだろうと思う。自信を持ってそう言ってしまえるところに、自分でも少し笑ってしまいそうになるけれど。


土曜日。同居人はまだ眠っていて、一週間がんばったんだなあと寝顔を見ながらぼんやり思う。
同居人は、昨日は先輩に勝手なことを言われたとガミガミ怒っていた。わたしは、昨日はひとりが寂しくてテレビを消すことができず、その一日を悔やんだ。そんな昨日の土曜日。
窓をすべて開け放ち、春の柔らかい空気が家中を舞う。静かで、穏やかで。そんな週末がずっと続いてほしいと安易に願ってしまうほどに、この週末が気に入っている。
たぶん、同居人も同じように思っていてくれているだろうと信じられることがが何よりもありがたい。


この一週間を抜けて、動き出さなくてはいけなくなった時からが本当のふんばり時なんだろうということは少し自覚できていて、だからこそ穏やかでいながらも薄皮一枚の下で胸がざわつく。
そんなこと言って、勿体ないなあと笑い飛ばしてしまえるくらい、怖がりが治せたら良いのに。